国境の町チェンライ◇旅行記⑥

国境の町チェンライ◇旅行記⑥

タイでクーデター!の報道に「あ~!だめか~。」「行けないのか~」「どうしよ~」と新聞にむかって一人で、ぶつぶつ、つぶやいているのは私です。一週間後には、タイへ向かう予定になっています。私が、さぞかし、心配をしているだろうと今回のホームスティ先、勉強をする学校、そして偶然現地入りしていた友人から「町は平穏で何時もと何も変わらないよ」とメールを貰い、「どうしよ~か?」と迷ったのもつかの間「行っちゃおう~と・・・。」と言う事でチェンマイ入りをしました。
今回はホームスティ先の方が、看板を持って空港までお迎えに来てくれることになっています。メールでのやり取りはしていてもお会いするのは初めてなのでとても楽しみでした。そんな出会いが、妙に嬉しかったり、ちょっと恥ずかしかったり、自然に顔がニヤついていたと思います。

彼女(日本の方です)の自宅は、高級住宅地の中にある1軒屋です。立派な2階立てで、その2階の一部屋に今回、私は宿泊することになっています。周りには素敵なカフェやレストラン・ショップがあり、何時も宿泊するナイトバザール近くとは雰囲気が違って新鮮でした。翌日からは、マッサージ&ルーシーダットンを学ぶことになっています。
午前中は、マッサージの復習練習へ午後は、場所を変えてバージョンUPの為のルーシーダットン練習です。ルーシーの次から次へのポーズにもう体はへとへとです。その時の様子です

タイって不思議、タイ式マッサージって不思議!何時もの如くそこで出会う人は、マッサージというものによって引きつけられるようです。たった1日の数分の間で出会う運命?今回もそんな出会いをしました。「え、え~!」○○さん。本当に○○さん。びっくりでした。それもご夫婦でここチェンマイでお会いできたとは。名前だけのメーリングリストの中だからです。もう1人、この一瞬に出会った若者がいます。それぞれが、夢を探し何かを掴もうとしている時、私達は、逢うべきにして会ったのだと思います。翌日の夕食を共にし、食べ、飲み多いに語り、笑い、お互いのエネルギーの交換ができたことに私は、楽しくて仕方ありませんでした。

そんな充実したチェンマイから翌日は、チェンライへ向かいました。国境の町、チェンラ~イ。私の行きたい!そんな思いだけで足を伸ばした町です。
チェンマイの北ターミナルからVIPバスに乗り込むことに。バスは、綺麗で左に1席、通路を挟んで右に2席の余裕たっぷりの内装です。走りはじめると車掌さんが、ペットボトルのお水とパンを配り始めました。チェンライまでは、3時間程だったでしょうか?これで280バーツでした。

到着ターミナルには赤バスがいっぱい待っていました。当たり前のようにホテルを言って乗り込みました。と、ところが、あっと言う間に着いてしまいました。100mくらいだったでしょうか。え~!と思いましたがホテルの位置も調べずに何の知識も持たずに入ってしまった私が悪いのですから仕方ありません。笑って下さい。ターミナルからメーン通りへ出て左に曲がったあのホテルです。知っている人はもっと大笑いかもです。恥かし~~。
取りあえず、チェンライ市内の地図をゲットしようとネットカフェイなどに入ってみるもない!のです。あるのは、チェンマイをメインにした北タイ情報誌ばかりであきらめて本屋さんで地図を買おうとしたのですが観光地図ばかり、それでも買った地図はおおざっぱな紙質がいいだけの観光地図でした。(包装されていて内容が確認できない)
仕方ないので、明日の日帰り旅行を予約しようと通りをぶらぶら歩き始める。結局、何だか心細くなって、日本の方がやっている旅行社を尋ねました。でも、少しホットしました。

「明日のゴールデントライアングル日帰りツア~をお願いします。」
「明日は、そちらのコースは、ありません。」
「うっ!えっ!」「行きたいんです。」
「お一人ですと食事代・ボート代などは別途そのつど払ってもらう事になります。お二人以上ですと料金の中にそれらが全部はいっているのですが・・・。」
「いいです。それでいいです。お願いします。」
「明日の朝までにもう1人、このツアーに参加希望者が現れる事を祈って下さい。」
「はい!」と言う事で予約が完了しました。

ついでに、町の事情を聞くと、ナイトバザールのあるあたり一帯がメーンで、他はこれと言ったところはないとのこと。マッサージのお勧め店を聞き、到着から昼間の暑い町を歩き疲れた身体をほぐして貰うべくリラックスタイムに突入です。町は夕方からが賑わいをみせ始めます。ナイトバザールには、たくさんの露天が並び、既に人で溢れ始め、ステージではタイ舞踊や弾き語りの歌声が流れ、それらを前に人々が、飲んだり食べたりしています。私も、フードコートの中でも、一番人が並んでいるお店に並んでみました。次々と人が受け取る、出来上がった料理をみながら、「これ、これ、これ!」といいながら指差し注文です。 どれも美味しかったです。

朝、車がホテルまで迎えにきました。やっぱり、私は1人でした。残念!!。
車は市内をぬけ、メーサイへむかいます。メーサイの町は広い道路を挟んで左右に沢山の土産物売場が並んでいます。土産物屋さんのひしめく坂を上りきった高台に、大きなスコーピオンが、小さな川の向う、ミャンマーの町並を睨み見下ろしていました。タイのイミグレーションとミャンマーのイミグレーションは、その小さな川に架かる橋で隔てられています。橋を行き交う人々を見ていると???と思うことを目にしました。

それは、ミャンマーのイミグレーション手前、橋の上から荷物を下へ落としています。下にはそれを受け取る数人の男達。続けて見ていると何回も何回も繰りかえされています。ミャンマーの通関を通らずに荷物をミャンマーへ入れている?これはどう言う事なのか誰か教えて下さい。それにしても堂々とやっています。 

メーサイを後にしてゴールデントライアングルへ、ラオス・ミャンマー・タイの国境の三角地帯です。峠の高台から見下ろすと遥かに広がるメコン川が国と国を分けています。雄大な景色です。そんな地に立っている自分が不思議で言いようもない感覚にとらわれながら下におりた私達は、(運転手さんと)ボートに乗船しメコン川をぐるりと遊覧しながらラオスへ上陸しました。と言っても川のヘリからすぐのそれ程広くないスペースです。土産物を置いているお店が並んでおり、ここで土産物を買ってほしいということらしいです。私は、その中の1軒でタペストリーを購入しました。買うつもりはなかったのですが、値段交渉をしていた時にぎりぎりまで下げているので、彼女の儲けは、値段のわりに20バーツしかないと同行の運転手さんに教えられ、日本円で60円程しか利益がないのに一生懸命、私にセールスしているのを見て買うことにしました。商品は長く陳列されていたせいか、湿っぽく、かび臭い匂いが少ししていました。それは、今、沙羅のお部屋で皆様をお迎えしています。もちろんカビ臭くはありません。

ボートを降りて昼食は、普通にバイキング形式の大きなレストランでした。運転手さんは、私をテーブルに座らせると、どこかへ行ってしまったのですが、ボ~としている私を、多分遠くから見ていたのだと思います。テーブルに戻ってくると私が、お水と言ったので、お水を注文してくれ、お料理を取りに行って来たら?促してくれました。小さなお皿に料理を入れていると、こちらだ!と言わんばかりに私からお皿を取り上げ、その辺に置いたと思ったら新しい大きなお皿を差し出しました。ありがとうございます。世話が焼けるおばさんです。

滔々と流れるメコンを横に見ながら、次の目的地、チェンセンのパサック歴史公園へ車は走って行きます。10世紀から12世紀ごろにかけて繁栄したチェンセン王国の遺跡です。 積み上げられたレンガは、苔むしてくずれ、それでもそこに栄華の時の存在を見せ付けていました。

最後は、温泉です。チェンライへ来たら温泉に絶対入ると決めていたので、帰りに寄ってもらうことをお願いしてありました。本当は、山の中の露天風呂とおもったのですが、チェンライの温泉は山の奥に多く車で現地までは大変と聞き、市内に戻る途中で立ち寄れる所となりました。それでも、行った先の温泉は最高でした。沼のような上に橋が架かっているのですが、その下を除くとふつふつと温泉が、湧き出ています。施設の中は、温泉個室がいくつもあり、その中の一室で私は1人温泉を堪能することに・・。

部屋は広く隅にお湯のはられた丸い浴槽が、そっけなくあるのみです。早速、入るとお湯がぬるすぎたので、熱い温泉をどんどんと継ぎ足した結果、極楽風呂に変身です。温泉は無色透明で匂いは微妙に硫黄臭さがあり、身体にすべすべとまとわりつくのが、な~るほどでした。温泉からあがると橋の土手で女性が、ホースの先からちょろちょろと流れる熱い温泉をボトルに詰めていました。既に何本も何本も詰め終えていました。そばに寄った私と彼女は自然と笑いあっていました。タイも日本も一緒ですね。
帰る前に販売していた温泉卵を食べようと思い買ってみたところ、卵は、冷たくて少し拍子抜けしてしまいましたが、私を待っている運転手さんと一緒に美味しく頂きました。
あとは、市内へ戻るのみです。一日、お世話になった運転手さんともお別れです。今度来る時は、彼(チャン)は日本語を私はタイ語が少しでも話せるようにと話ながらホテルへ到着です。チャンさん、1日、本当にありがとうございました。

そして、今宵もナイトバザールへ、ステージでは昨夜の男性歌手が、良い感じに弾き語っています。昨夜と違ったのは、その後、ニューハーフショーが始まったことです。綺麗なショウを見て何だか得した気分でチェンライ最後の夜を楽しむことが出来ました。

朝、チェンライからバンコクへ「スワンナプーム新空港」へ降り立ちます。(行きはドンムアンでした。)新空港は素晴らしく大きく広くどこがどう?ということが分らないままに人の流れに沿ってタクシー乗り場へと導かれ列に並ぶことに。タクシー係りの人が「チャイナ?」と声をかけてきたので「イープゥン」と答えるとガムを差し出し私にくれました。何だかわかりませんが、全部もらうと悪いのでガムをちぎって残りを返しました。バンコクの滞在は3日間の予定です。来るたびに街は変貌を遂げており、大都会バンコクは益々の勢いです。クーデター騒ぎもどこへやら、戒厳令もどこへやらで、街は何時もの活気です。

さて、最後に笑える話をご紹介できます。この経験をした時に、冷や汗ものだったのですが、ニヤリとしました。沙羅の旅行記に書ける楽しさです。それは、帰国日の夜にホテルから空港へ向う時のことです。タクシーを前の道路で拾おうとした時、ホテルのボーイさんが表まで私の重い荷物を運び、走って来たタクシーを止めてくれました。普通ならなんてことないのですが、止まったタクシーを見た時にその車の痛み具合に身が引けました。辞めようと逡巡した時にボーイさんの手により荷物は車の中へ既に収まり、ドアを開け乗り込む私を待っていました。仕方なく乗りました。

乗り込んで、もっとびっくり、振り向いた運転手さんの顔が幽霊のようにしぼんでいたのです。(ごめんなさい。)ぎょ!「降りたい!降りたい!」心の叫びです。そう思っているのに、5m程動いたところで値段交渉を始めました。今時である。メーターでなければ降りると言ったものの、200バーツというので、ん?(来る時には300バーツ程かかったので) 高くないじゃん。ハイウエイ代はタクシー持ちね。と了解をへてしばし辛抱することにしました。 走り始めると、車の痛み具合から車の部品が一つずつ飛んでいくのでは無いかと思うほどガタガタします。乗車してからずっと気になっていたことが・・・。「年は幾つですか?」尋ねると72歳。怖さもピークに近づいてきました。

走っても走っても、ちっとも高速に乗らないので上を走るハイウエイを指さし、乗らないと時間がないでしょ。とさすがに私も怒りはじめた。しかし何度、強く言っても聞く耳を持たずに走り続けるのです。空港までの時間に余裕をとってあったので、私もだめだ!こりゃ!とあきらめモードに。最初の判断で車を変えるべきだったと後悔しきりです。
しかし、今度は別の不安が、ドンムアンへ向かって走っているような気がするので心配になり「ニューエアポート・スワンナプーム OK?」 すると「エアポートOK・OK」
何度も尋ねるも「OK・OK」である。も~完璧にドンムアンへ向かっています。エアポートの灯りがみえるも当たり前に暗い。この頃から私は、日本語でまくしたてる。「貴方は、スワンナプームのニューエアポートを知らないのでしょ!ここは、ドンムアン空港、もうクローズしてるのよ!」 怒り頂点。「降ろして降ろして!」「時間が、時間が」

さすがに、おじいさんも自分の間違いにやっと気が着きおろおろし始めました。空港に入る道から一般道に出た所で、偶然止まっていたタクシーに乗り換える事になりました。おじいさんには、お金を払いたくなかったけれども気の毒なので半分の100バーツだけ支払いました。
乗り換えたタクシーに「ニューエアポート・スワンナプーム OK?」わかったようですが、何度も何度も確認をする。「大丈夫だからスワンナプームね」と言いながら走り始めました。さすがの私も時間が気になり始めました。もう一度、今来た道をまた、戻るとは。トホホです。

市街を通り抜けるも一向に高速に乗らず下道を走り続けるので、不安な気持でじっと我慢でした。私自身、スワンナプーム空港がどちらの方向にあるのか把握出来ていなかったからです。まばゆいばかりの光が見えてきてホットしたのもつかの間、運転手さんが道を間違えました。どうも空港には来た事がないようでした。新空港がスタートしてから1週間目のことです。結果、お金でいえば400バーツもかかってしまいました。

タクシーは、当たり前にスワンナプームが分ると思っていた私の思い込みが間違いだったようです。皆様も市内よりスワンナプーム新空港へ戻られる時は、くれぐれもガタツイタ・車の運転席に座り値段交渉するおじいさんは見送って下さい。チェンマイ・チェンライ・バンコクとそれぞれに楽しい日と新しい出会いに、改めて前に進む元気を貰い自分の存在を再確認できた旅だったと感じ入りました。次は、このエネルギーを私の周りの皆様に差し上げることが出来たらと思います。06/09/26

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